Literary Blog

世の中の動きと文学について

小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』

本書の著者・小川さやかさんは、1978年生まれの文化人類学者で、専門はアフリカ研究。本書『チョンキンマンションのボスは知っている——アングラ経済の人類学』(春秋社)は、初版刊行が2019年7月。
2020年度の第8回河合隼雄学芸賞および第51回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞作である。

春秋社のwebマガジン「web春秋 はるとあき」にて2018年1月より12月まで掲載された連載を、再構成し、加筆訂正を施し、書き下ろしを加え、単行本化したのが本書である。小川さやかさんは大学教員だが、本書は学術論文とは違うエッセイとして書かれている。

もとになった調査は、日本学術振興会科学研究費の助成を受けて実現した、香港に集まるタンザニア人らへの取材。彼らは、アフリカの母国から、一攫千金を夢見て香港へやってきた。

小川さやかさんは、もともとタンザニアの零細商人について、東アフリカのタンザニアへの渡航による現地調査もしながら研究をしていた。そして、香港と中国本土に渡航するアフリカ系商人の交易活動に関心を持ったそうだ。小川さやかさんは、英語だけでなく、スワヒリ語も話せる。

本書は、カラマという名前のタンザニア人の男性を主人公にして書かれている。彼は、チョンキンマンション(重慶大厦)のボスを自称している。チョンキンマンションは、香港の目抜き通りに立地する複合ビルで、住居を主な目的に建てられたが、安宿としても有名。

著者は、チョンキンマンションに長期滞在し、アフリカ系住民を中心に現地の人々と交流した。タンザニア人のコミュニティーに加わり、彼らと親しくなることは、簡単ではないと思うが、小川さやかさんは成し遂げている。そのため、興味深いエピソードが満載である。

アングラ経済のアングラはアンダーグラウンドの略。アングラ経済を英語でいうと、underground economyである。地下経済あるいは非合法な経済活動を意味する。
現地での調査活動では、様々な難局に遭遇したと思われる。研究者としての探求心や行動力に感銘を受けた。

 

三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』女性作家による男性的な男の友情物語

三浦しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』は第135回直木賞受賞作である。単行本の刊行は2006年3月。
初出は隔月刊の小説誌『別册文藝春秋』。本作は、2005年1月(255)号から2005年11月(260)号にかけて連載された。単行本が6話から成るのはそのため。
本作のように、『別册文藝春秋』に連載された後に、単行本化され直木賞を受賞した作品は多い。本誌は、2015年6月号より電子版『別冊文藝春秋』に移行した。

三浦しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』は、エンターテインメント性が高く、素直に楽しめる作品。登場人物の言動やストーリーが抜群に面白い。直木賞の選評も、概ね良い。好みの違いは、多少あるだろうが、面白い小説を読みたい人なら、楽しめるはず。

主人公の多田啓介は便利屋。地元のまほろ市の駅前に事務所兼自宅がある。従業員は彼一人であった。
ある日、仕事中に高校の同級生と再会する。彼の名前は行天春彦。成績が良く、見た目も悪くなかったが、校内では変人として有名だった男。
おひとよしの多田と、愛敬があるが変人の行天。特に親しかったわけではない二人。多田には行天に対して、後ろめたい過去があった。駅まで送るだけのつもりが、一泊させることになり、そのまま行天は……。

多田と行天が通った高校は進学校進学校と聞くと、おっとりとした優等生ばかりと思い込んでいる人もいるが、実際はそうではない。二人が通った東京都立まほろ高校もそのようだ。僕が卒業した公立の進学校もそうであった。
多田も行天も、以前は会社に勤め、堅実な人生を送っていたが、それぞれに人生の転機があり、現在に至り、再会した。

便利屋は、どちらかというと男性向きの仕事。行天が居着いたこともあってか、便利屋の仕事にしては、危険な目にも遭う。男性的で男目線の語りや会話も多い。
本作は男の友情物語とも言える。それを女性の三浦しをんさんが、29歳のときに書いた。だが、多田と行天の心情はよく伝わってくるし、自分に通じるものも感じた。作家が女性なのか、男性なのかの違いは、それほど大きくはなく、作家としての力量の方が重要なようだ。

 

東野圭吾『祈りの幕が下りる時』複雑に絡み合ういくつもの謎は加賀恭一郎の母にも繋がっていた

本作の冒頭には、次のようなことが書かれている。仙台のスナックで働く、身寄りのない女性についてである。彼女は36歳の時に、夫と12歳の息子を残し、家を出た。
10年ほどが過ぎた頃、彼女は一人の客と深い仲になった。その相手の男性は、仕事で遠方に行くことが多い。
その頃、彼女は体調を崩し、スナックの仕事も休みがちに。そして自宅アパートの一室で、ひっそりと息を引き取った。発見したのはスナックの経営者。死後二日が経過。孤独死であった。
彼女が付き合っていた男性は、彼女の一人息子を探し出し、彼女の雇い主に、彼女の息子と連絡を取ってほしいと依頼した。その一人息子が、本シリーズの主人公、加賀恭一郎である。

さらに10年以上の歳月が流れる。その間、東日本大震災原発事故があった。これらの大きな災害と、前述した冒頭の出来事は、この後に捜査が始まる、東京の下町、葛飾区小菅で起きた殺人事件に繋がってゆく。

本作では、仙台が舞台のひとつ。僕が長い間暮らしていた都市である。街並みの描写が正確であると感じた。おそらく他の場所についても同じことが言えるのであろう。心理描写もよく、登場人物の心情もよく伝わってきた。しっかりと情景が浮かんでくるので、物語に浸りやすい作品であった。

 

誉田哲也『ノーマンズランド』長かった20年という歳月、願いが叶わぬことを知ったとき

葛飾区青戸三丁目のマンションの一室で、女子大生の遺体が発見された。被害者は、この部屋の住人であり、大学へ通うために親元を離れて一人暮らしをしていた女性。発見者は被害者の大学の友人およびマンションの管理人。
葛飾署に特別捜査本部が設置され、姫川玲子の所属する警視庁刑事部捜査一課殺人犯第十一係が加わり、捜査にあたることになった。

被害者の部屋に残る指紋・掌紋を採取し照合したところ、前科者と一致。姫川らは張り込みを開始しようとしたが、その被疑者は、すでに別件の殺人事件の容疑で逮捕され、留置所に。だが、その別件による逮捕や取り調べには不可解な点が……。不審に思った姫川は、行動に移り、隠された真実、隠蔽されようとした殺人事件の真実を突き止める。

死体検案書の写真や供述調書が捏造された理由。国家間でなければ解決できない社会問題。北朝鮮による拉致事件
拉致被害者家族の自宅には、部屋を埋め尽くすほどの、拉致被害に関する資料があった。非現実的と分かっていても、自衛隊員となって被害者を北朝鮮から救出したいと願う若者。いつかその願いが叶うかもしれない。別の形で役に立つかもしれない。

拉致のような人権侵害を犯す国家が、現代日本の隣国にある。しかも日本が標的にされた。国家間で解決できないなら……。もし北朝鮮工作員や、日本に潜伏する北朝鮮による拉致への協力者に出くわしたら……。目には目を、歯には歯を。

本作は姫川玲子シリーズの9作目。初版発売は2017年。主人公の女刑事、姫川玲子は、捜査一課殺人犯第十一係担当主任。階級は警部補。本書での年齢は35歳。

本作の冒頭は、ある男による一人の女性についての回想シーンで始まる。彼女を知ったのは中学生の時。二人は別々の中学ではあったが、二人ともバレーボール部に所属していた。そしてバレーボールの強豪校に進学した二人は、同じ高校のバレーボール部に所属し、親しくなった。
この二十年前の出会いがすべての始まり。

 

東野圭吾『沈黙のパレード』共犯者の誰も知らなかった隠れた真実

ミステリー小説において、遺族らの視点に立つ復讐のための殺人というストーリーは受け入れにくいこともある。だが本作は、そういう経緯があったのかと、事件の真相や話の展開に関心を持ち続けながら読了できた。殺意の有無、予期せぬ事態、不運な出来事。自分の身に何が起こるのかは分からない。
ガリレオシリーズではお馴染みの理系色の強い難解トリックの謎が解けても、周到なアリバイ工作が施されている。天才物理学者・湯川学が推理し、容疑者の自供が始まるまでは、謎解きを試みても難しいであろう。

何故この男は無罪になってしまうのだろう。警察や司法への失望と憤り。常軌を逸する被疑者・蓮沼。卑劣で凶悪な人物。遺族らは、司法が裁けないなら、自分たちがこの手で裁きたいと願う。復讐のためには、殺人さえもいとわないという、遺族および被害者を愛した人々の思い。だが殺人を犯せば、自分たちが犯罪者となる。残された家族のことも忘れてはならない。

二つの事件で被疑者となった蓮沼。真相を知りたい。この男が犯人であると確証を得たとき、遺族らは真実を吐かせるための計画を立てる。警察にはできない方法を使って。殺したっていいのだ。完全犯罪の計画。計画の実行はパレードの当日。

警視庁捜査一課の内海薫は、今回の事件に関して、同情の余地はあるが、どんなに最低の人間であっても命を奪う権利は誰にもない、と改めて思う。しかし、そのことを実証しなければならないことを考えると、気が重くなる。

事件解決の様相だが、まだ残りのページ数は多い。このまま終わりそうもない。どんでん返しが待っている予感。二転三転する真相。隠された真実。居た堪れない思いで、胸が裂ける。東野圭吾さんのミステリー小説の世界に浸ることができた。